g2umblr

9月 12

「茶化す vs 素直」って書いてるけど
より本質的に言えば「否定 vs 肯定」ってことだわな
物事に対して、否定から入るか、肯定から入るか、という違いだよ

だから、茶化した子を叱ったところでどうしようもない
この書き手は人間心理を知らない未熟者だと思う

「なぜ否定から入るのか」という理由は簡単だ
「肯定するよりも否定するほうがラク」だからだよ

証明の形式として、肯定するためには演繹的・帰納的にデータを積み上げないとダメだが
否定するためには反証を1つ挙げるだけでいい
だから否定するほうが肯定するよりも遥かにラクなんだ

同時に、自分が肯定したものは反証が1つでも見つかると証明が崩れるから
人間は「何かを肯定すること」を恐れるようにもなる
子供がせっかく肯定したものに対して、親や教師が頭ごなしに反証をぶつければ
自然と子供は肯定する勇気を持てなくなっていく

子供が否定に走る理由はこれで分かったと思う
茶化すのはラクだからであり、勇気が足りないからであり、自分が否定されることを恐れているからだ
そこを共感的にケアすればいいんだよ

「そんなことも知らなかったの?」…9割の親がついやってしまう、子どもが「素直」ではなく「ひねくれて」育つNG行動 : 哲学ニュースnwk (via yue)

(otsuneから)


9月 11

9月 8
“好ましくない爪の切り方(爪を丸く切るのはNGです)をすることで、爪の両端が丸まり、爪の端が皮膚に食い込む環境を作ってしまうからです。” 爪があるから歩ける 大事にしよう | ロバスト・ヘルス (via otsune)

(otsuneから)


8月 26
“美大でプログラミングを教えている友人がぼやく。プログラミングの肝は省力化(繰り返しやしらみつぶしの作業をいかに少ない手順でやるか)にあるのに、あの子達は、延々と作業を繰り返す事をものともしない。” Twitter / Shunji_Yamanaka 山中俊治 (via kanabow)

(kotoripiyopiyoから)


8月 21
“人間は階級が自分の器に達したときにエバり始める。課長でエバる奴は課長の器。部長でエバる奴は部長が限界。社長でエバっていない奴は、さらにその会社をデカくしようという野望を持っている。しかし、たいていの人間が小さな権力を振り回したがる。ヒラの器な奴が課長になると無茶苦茶尊大になる。” 榊淳司 on Twitter: 人間は階級が自分の器に達したときにエバり始める。課長でエバる奴は課長の器。部長でエバる奴は部長が限界。社長でエバっていない奴は、さらにその会社をデカくしようという野望を持っている。しかし、たいていの人間が小さな権力を振り回したがる。ヒラの器な奴が課長になると無茶苦茶尊大になる。 (via otsune)

(otsuneから)


8月 16
頭のいい親は勉強が楽しいように教育するんだよ

バカな親はヒステリックに勉強、勉強と叫ぶだけ

強制して勉強させても長続きしない
東大生の親の年収 950万円以上が51.8%・・・経済格差=教育格差? : SIerブログ (via bgnori)

(otsuneから)


8月 14

保育園のころ、魔法を使える先生がいた。

その人のことを、ここでは「まこ先生」としよう。30代前半で、職場では中堅のスタッフとして活躍していた。もちろん当時の私はあまりにも幼く、先生たちの年齢をきちんと把握していたわけではない。「若い先生/大人な先生/おばあちゃん先生」……それくらいザックリした認識しかできなかった。子供ながらに「まこ先生は頼りがいのある大人の先生だ」と思っていた。

まこ先生は、私が5歳のときの担任だ。

私が通っていたのは公立の保育園だ。高所得家庭の子供だけが集まる(?)私立保育園ならいざ知らず、様々な境遇の親たちが子供を預けていた。

とくに私の学年には、近隣の悪ガキどもが集結していた。暴れる、噛み付く、ひっかくのは当たり前。おもちゃはすぐに壊され、床や壁は汚される。みごとに手のかかる子供ばかりだった。すり傷やたんこぶは日常茶飯事だったし、親たちもいちいち目くじらを立てなかった。最近の保育園ではどんなに小さな怪我も許されないと聞いている。それに比べれば、なんというか、おおらかな時代だったのだろう。

私たちは3歳~4歳のときに数々の伝説を作り、悪評を確かなものにしていた。そして、そろって5歳児クラスに進級した。そこで出会ったのが、まこ先生だった。

その保育園は2人担任制だった。まこ先生のほかにもう1人、とても若い先生──ここでは「きく先生」としよう──が、私たちのクラスを担任していた。さらに時々、見覚えのない先生が来ていた。たぶんパートタイムの保育士を雇っていたのだろう。まこ先生ときく先生の2人の正規職員+パートタイムの計3人で、最凶の悪ガキ集団を迎え撃ったのだ。



きく先生は、子供からあまり好かれていなかった。

決まりごとに厳格で、ルール違反を絶対に見逃さなかった。たとえばお昼寝の時間。横にならない子供が1人でもいると、烈火の如く怒った。眠気があろうとなかろうと、子供たちを片っ端から布団に叩き込んでいた。私は昼間に眠くならない子供だったので、きく先生に監視されているお昼寝の時間がひたすら苦痛だった。

たとえばお散歩に出かけるとき、給食を食べるとき、そして読み聞かせをするとき。そんなときは、子供を1カ所に集めなければいけない。大人の言うことを聞かせなければいけない。ルールに厳格なきく先生は、きっと、号令1つで子供が動くのを理想としていた。「集まりなさい!」と命令すれば、子供たちが遊びをパッとやめて駆け寄ってくる。彼女はそういう状況を求めていた。

しかし私たちは悪ガキ様ご一行だ。そんなこと、できるわけがない。

言うことを聞かない私たちに対して、きく先生はヒステリックに怒鳴るだけだった。「集まりなさい!」「遊びをやめなさい!」「こっちに来なさい!」そして「言うことを聞きなさい!」……まこ先生が休んだときは、きく先生の怒声が教室に響くのだ。やがて子供たちも慣れてきて、きく先生の言葉を聞き流すようになった。「はいはい、集まればいいんでしょ?」みたいな斜に構えた態度を取るようになった。子供とはいえ、5歳にもなれば「話を聞くふり」ができるようになる。心の中では相手をバカにしているのに、態度だけ取り繕うことができるようになる。



まこ先生は違った。

たとえば子供を集めるとき。まず右手の指を3本、左手を2本伸ばして、胸のまえに突き出す。そして「あわせて、いくつだ!?」と近くの子供に聞く。相手はぽかんとしながら、「5つ?」と答える。「正解! それじゃ次は……」と、また違う組み合わせの指を差し出す。遠くから見ていた子供たちが(何か面白そうなことをしているぞ?)と気づいて、まこ先生の周りに集まってくる。

そして3分後には、クラス全員がまこ先生の前に集まって、われ先に「指の数クイズ」に答えようとしているのだ。

指の数を当てさせるだけではない。ある時は、なぞなぞを駆使していた。

「暗くって、暗くって…暗ぁ~いモノは、な~んだ!」

まずはかんたんな問題から。まこ先生の近くにいる数人が、声を揃えて「夜~!」と答える。

「正解! それじゃ次は……白くって、冷たくって、甘ぁ~いモノは、な~んだ!」

これもかんたんな問題。子供たちは大声で「アイスクリーム!」と答える。遠巻きに眺めていた子供も、(なんだか楽しそうだぞ)と近寄ってくる。

「次の問題は、ちょっぴり難しいよ~?」

もったいぶった口調で、まこ先生は言う。

「高くって、高くって、高~いモノは、な~んだ!」

「天井!」「屋根!」「うんてい!」

子供たちは口々に、自分の知っている「高いもの」の名前を上げる。

「ううん、もっともっと高いものだよ?」

遠くのほうで遊びに夢中だった子供たちか(まこ先生が何かしてる)と気づく。次々に集まってくる。

「えっと~、サンシャイン!」「東京タワー!」「富士山!」

子供たちは夢中になって、矢継ぎ早に答えを口にする。まこ先生は首をふる。

「いいえ違います!もっともっと、も~っと高いもの!」

いつの間にか、クラス全員がまこ先生の周りに集まっている。

そして声を揃えて、「「空!」」と叫ぶ。

「はい、正解です!」

まこ先生はニコッと笑う。

「それでは空を見に、みんなでお散歩に行きましょう!」


これは一例にすぎない。まこ先生はありとあらゆる手段を使い、悪ガキ連中を意のままに操っていた。優しいばかりではなく、イタズラをしたときは厳しく叱られた。私も何度かげんこつを落とされた覚えがある。それでも、まこ先生がヒステリックに怒鳴ることはなかった。

子供の主体性を引き出して、自発的に大人の言うことを聞かせる。

まこ先生の技術はまるで魔法だった。



     ◆



先日、まこ先生は長年務めた保育園をやめた。

定年よりも少しだけ早い退職だった。まこ先生いわく、体力が衰えたからだという。子供の抱っこがつらくなったから、もう保育士は続けられないと判断したそうだ。園長や役所の管理職を目指すのではなく、まこ先生は最後まで保育の現場に立ち続けた。

まこ先生のかつての教え子や、その親たちが集まって、ささやかな「お疲れさま会」を開くことになった。

私も同席した。20年ぶりに再会したまこ先生は、記憶のなかの姿よりもずっと小さかった。目尻や口もとには年相応のしわが刻まれて、「お酒は医者に止められているから」とウーロン茶しか飲まなかった。まこ先生はすっかり「おばあちゃん先生」になっていた。



きく先生が苦手だったこと。まこ先生はまるで魔法使いだったこと。

私がそんなことを話すと、まこ先生は控えめに笑った。

「きく先生だって、悪い先生じゃなかったのよ?」

ウーロン茶で口を湿らせて、まこ先生は続けた。

「たしかに、ちょっとマジメすぎる部分はあったけれど……でも、保育に対する情熱は私と変わらなかった。もしかしたら、情熱は私よりも強かったかもしれないわね。少なくとも『話を聞く子を育てたい』という目標は同じだった」

表面的な態度を取り繕うのではなく、心から大人の言うことを聞く子供。大人が与える言葉や知識を、すんなりと飲み込める子供。そういう子供でなければ、小学校に上がってから苦労する。幼児教育においても「保育目標」が設定されていて、子供たちを一定の水準まで育てあげる義務があるという。

「大人の命令を聞くという意味じゃないわよ」まこ先生は念を押した。「先生や親の授ける知識をスッと受け止めて、自分の頭で判断できるようになる。そのためには、大人の話をきちんと聞く子供でなくちゃいけない。私たち保育士がそういう子供を育てられなければ、その子の一生が滅茶苦茶になっちゃうわ」

責任の重たい仕事だったわね、まこ先生はしんみりと言った。

「だけど、ばつぐんに面白い仕事だった」

私は食い下がった。

「そうは言っても……やっぱり、きく先生のやり方がいいやり方だったとは思えません。子供たちはみんな、きく先生の話を聞く“ふり”をしていました。まこ先生のおっしゃる『目標』とは真逆ではありませんか?」

「そうね」

まこ先生は目を伏せる。

「気づいてほしかったけれど……。きく先生は気づいてなかったのかもしれないわね」

「気づくって、何に?」

子供は考えるのが好きだってことに」

昔のように、まこ先生はニコッと笑った。



指の数クイズも、なぞなぞも、まこ先生の技術は「子供に考えさせる」のが土台になっていた。「考える遊び」を駆使して、まこ先生は悪ガキどもに言うことを聞かせていた。

子供の「考える力」には個人差がある。

なかには頭の回転が速い子供がいる。言葉が達者で、口から先に生まれてきたような子供がいる。その一方で、ぼんやりしていて、何をするにもワンテンポ遅れてしまう子供がいる。けれど、どんな性格をしていようと子供は考えるのが好きだ。まこ先生は、そう言った。どんなにおっとりした子でも、その子なりに「自分で考える」のは楽しいのだ。頭を使うのはよろこびなのだ。

「だから、まったく考える余地を与えなければ、子供は言うことを聞かなくなる。表面的に取り繕うだけになってしまうの。反対に、ちゃんと考えさせれば、子供はきちんと言うことを聞く」

そして自分で考えた結果が「上手くいった」と経験するのが楽しい。1~2歳なら、パンツを自分で履けた。靴下がうまく履けた。そんな小さな成功が、子供は嬉しい。だから子供が何かに初めて成功してたとき、大人がきちんと褒めるのが大切だという。

「なるほど! 子供は褒めて育てるのが正解なんですね!」

「そうは言っても、褒めすぎもよくないのよ?」

「だけど…頭ごなしに怒鳴るよりもいいですよね!」

「怒鳴りたくなることぐらいあるわよ。人間だもの」

40年近く子供と向き合ってきた人は、考え方の“厚さ”が違った。

「すごい、すごいと何をしても褒める親がいるけれど……褒めすぎると、今度は『すごい』と言われないと不安な子供に育ってしまうの。トイレに行っただけで『すごい?』と親に訊く。靴を履けただけで『すごい?』と承認を求める。できて当たり前のことを褒めるのは、子供にとってプラスにならないと思うわよ」

まこ先生は言葉を区切った。

「それから、今の親たちは忙しいでしょう。朝から晩まで働いて、くたくたに疲れて帰宅する。なのに子供はタダをこねて、まったく言うことを聞かない。そんなとき、怒鳴るなというほうが無理でしょう。どんなときでも笑顔を絶やさないのは、超人的なお母さんにしかできないわ。大人だって怒ることもあれば、キレることもあって当然。人間なんだから」

私はおずおずと答えた。

「そうは言っても……子供に対してムキになって怒るのは、やっぱりよくないことだと思います」

「そうね。子供の扱いに慣れていたら、怒らないで済むかもしれないわね。大人がカッとなるのは、子供に言うことを聞かせる方法が分からないからだと思うの。どうしても子供が言うことを聞かないから、どうすればいいか分からなくなって……それで頭に血が昇るんじゃないかしら」

「つまり、子供に慣れるのが大事ってことですか」

「そう、今の親たちは子供に接する機会に乏しい。人によっては、自分の子供ができるまで、まったく子供の面倒を見ずに大人になる」

だから子供の扱い方が分からない。

「たとえば、何を褒めるべきで何を褒めなくていいのかのさじ加減とか、疲れ切っているときでもキレずに済ませる方法とか、そういうものは子供と接してみないと分からない。子供と向き合った時間が長ければ長いほど、子供がどういう生き物なのか分かってくる。そして、うまく子育てができるようになる。私はそう思うわ。……ところで、あなたは結婚していなかったわね。あなたの身近に子供はいるかしら?」

「はい、姪っ子たちと……あとは子持ちの友人が何人かいます」

「だったら、その子たちとできるだけたくさん会っておくといいわね。あなたの知らないことを、子供はたくさん教えてくれるはずよ」

「そうすれば、私にも魔法が使えるようになるでしょうか?」

「魔法?」

まこ先生は首をふる。

「そんな大それたものじゃないわ、私は自分にできることをしていただけよ。私には保育ぐらいしか、できることが無かったから」

その子はなぜ大人の言うことを聞かないのか? - デマこいてんじゃねえ! (via junsakura)

(kotoripiyopiyoから)


8月 10
“彼女と同棲してた同僚は、ある日家に帰ったら無造作にゼクシィが置かれててその無言の圧力を使う精神性にぶち切れて別れてた” Twitter / enraku (via rpm99)

(otsuneから)


8月 6

「美人でおしゃれで、いつもきれいなところがうらやましい」なら、「私も、もっときれいになりたい」ということです。

 「いつもたくさんの友達に囲まれて、交友範囲が広くてうらやましい」なら、「私も、もっと人付き合いの範囲を広げたい」ということです。

 「仕事でプロジェクトを任されて成果を出し、上司から評価されているのがうらやましい」なら、「私も、プロジェクトを任せてもらって自分の力を発揮したい」ということです。

 うらやましいと思う事柄は、実現できる事柄です。なぜなら、うらやましいという思いがわいてくるのは、「私だって、そうなれるんじゃないか」という気持ちが、どこかにあるからです。

“妬み”の中になりたい自分がかくれてる:日経ウーマンオンライン【自分を変える 一歩の踏み出し方講座】 (via otsune)

(otsuneから)


8月 5
“「母以外の女性と人生を歩む」のは、すなはち「子供である私の人生の否定」になるからだ。特に幼少期の子どもは、「両親は未来永劫一緒にいて私を全面的に肯定して待っていてくれる存在だ」と思いたい。特に死別の場合は2人を引き裂く理由に他者がいないため、愛は終わってないと認識する。だからこそよりいっそう再婚はありえない。「違う女性と家庭を築くなら、私はいらないのでは?」という極論も頭によぎる。だって可能性はゼロじゃない。父から不要だと言われたとき、私を「保護してくれる」人はいなくなる。繰りかえすが、父も1人の男だ。そんなことは娘だってわかっている。しかし無理なのだ。もし仮に母が他界して間もなく再婚したならば父を恨んだかもしらない。” 母を亡くした少女の頭の中|嘉島唯|note (via otsune)

(otsuneから)


7月 29
“思い返すに、大学院での指導で「自分の頭で考えろ」と教員に言われたことは一度もないと思う。その代わり散々言われたのは「よく調べろ」。自分の頭で考えるというのはそれなりの危険があって、不適切な材料と不十分な思考力では斜め上にたどり着くものだ。”

Twitter / mishiki: 思い返すに、大学院での指導で「自分の頭で考えろ」と教員に言わ … (via wideangle)

万回のreblogに値する

(via pressthebackspacekey)

おっとちきりんの悪口はそこまでだ

(via tamejirou)

(otsuneから)


7月 27
“水中で酸素ボンベを無駄とは言わないし、月面で宇宙服を贅沢とは言わない。21世紀の日本に於いて空調装置は「快適さを求める機械」ではなく「生命維持装置」なのだ。電気代の支払いで即死はしないが熱中症は下手すりゃ3時間で死ぬし運良く救急搬送されても医療費は8万円強。クーラーは消すな。” Twitter / siv_wavedrive: 水中で酸素ボンベを無駄とは言わないし、月面で宇宙服を贅沢とは … (via otsune)

(otsuneから)


7月 26

なんで夫にストレスを感じるのか、ということの回答で一番分かり易いのは「夫がダメだから」です。はい、それは私がいつもストレスと共につい感じてしまうことでもあります。「もっと夫がデキるようになれば解決するのに」というとても分かり易い解決法を導き出すことに繋がります。

同じように思ったことがある方も多いと思います。

で、それで解決しました?

多くの場合、NOだと思うのです。

「(私を怒らせないように)もっと頑張って家事育児をやって!」

「うん、僕頑張るよ!」

という理想的な展開になることはめったに無く、またもし口頭でそういうやり取りがあったとしても結果として納得いく働きを見せない旦那にさらに苛立つという展開が待っている。

その繰り返しを、私も何年も何年もしてきました。

そして、最近やっと気づきました。「ダメ、って、何に比べて?」ということ。

夫にストレスを感じている、同志の皆さまへ。 - スズコ、考える。 (via otsune)

(kotoripiyopiyoから)


7月 17
“朝の会議でベネッセ絡みの情報流出案件が出て、社内ネット担当が呼ばれ「ウチは大丈夫?」と聞かれ、「あれはコストを削って外注したSEにDBのアクセス権がある社内PCを貸与しなきゃ回らない仕事を出したのが原因。セキュリティというより福利厚生か経営案件」と言ってて拍手しそうになった。” Twitter / tarareba722 (via rpm99)

(mitaimonから)


7月 1

ページ 1 / 24